2016年12月10日土曜日

律の見た予知夢は当たらない(4)

「お久しぶり、りっちゃん」
「先生っ」

 外の景色が一望できるはずのゲストルームは、今はシャッターが降りていて、いつもの開放感がない。天候がいつまでも悪いので仕方のないことだった。
「先生、何年ぶりかな」
 律は自分が呼び寄せたお客に相対している。結局、下には降りられなかったが中田茉那美と連れの杉田胡桃に会うことができたのだ。

「ちょうど3年だ」
 中田茉那美は黒のスーツで決めていてショートカットの髪をスタイリッシュにセットした恰好良い女性だ。切れ長の鋭い目に真っ赤なルージュ。細身でありながら胸は大きく主張していた。
 かつて律の家庭教師を務めていた人である。
 足を組んで座って肘掛けに右肘をつく姿が様になっていた。怖いくらい真剣な顔で、愛嬌はないが妖艶な美しさが仕草から滲み出ている。

 隣では杉田胡桃が紅茶を上品に啜っていた。ソファに浅く腰掛けてへらぁと緩い頬で笑顔を絶やさない。
 ゆったりカールした茶のポニーテールに黄色の軽そうなリボン。髪と同様に色素の薄い眼の色、低い鼻、真っ白な肌。律より歳上であったが童顔のせいで下級生と言われても納得してしまいそうだ。
 明るい色のワンピース。下には暖かそうなレッドピンクのセーターを着込んでいた。足元はカラフルなハイソックスに真っ赤なローファーだ。
 外国人の血が何分の一か入っていると言っていたのを律は思い出す。
 彼女とはビデオチャットやメールでは何度もやり取りしてきた仲だ。実際に生身で会うのはこれが初めてだ。

「電話でいろいろ喋ってたけど、それで結局 何が言いたかったんだ?」
「電話で言ったままだよ。ギブアンドテイクってこと」
「相変わらず回りくどいな、お前は」

 茉那美は呆れている。それは充分に承知のうえだ。
 律はパパが指定した家庭教師陣の中で茉那美が一番好きだ。自分のことを対等に扱ってくれるからというのが理由だが、茉那美の指導方針とパパの教育方針とでは大きく食い違う。そのせいでわずか一ヶ月足らずで真田家を去ることになってしまった経緯があった。それが3年前だ。

「どうも様子がおかしい気がしてる。真田さんが許してくれたとは思えないからな」
「だから大丈夫だって。パパが何を言ってもあたしは茉那美先生が正しいと思う」

「りっちゃんは3年で背がよく伸びた。栄養失調かと思うくらいチビだったのに」
「え?」
「頭のほうも一緒に成長したのかね」
「…勉強は嫌い」

 律は入り口付近のメイドたちを気にした。3人のメイドは何かあればすぐに飛んでいくと言わんばかりにすまし顔で並んでいた。
 茉那美先生や胡桃との会話にあまり立ち入って欲しくないと思う。しかし下がれと命じても専属メイドは基本的にパパの指示に従うのだ。

 律はソファにゴロンと寝転がった。
「なんかね、監視されてる気分なの。ずっと。先生が居なくなってからも何も変わんないよ」
「図体ばかりでかくなったわけか」
「成長期なんだから、当たり前だよ。予定通りに大きくなったんだから、驚くような変化なんてなにもないの」
「変わった内に入らんと言いたいのか」
「もうずぅっっと、あの時のまま」
「そうか」
 茉那美先生は目を閉じて思考を巡らせていた。掴みどころのない律の会話にどう対応するべきかを考えているのだ。

「胡桃ちゃん、絵は描いてる?」
「うん、体調がいいときはね。りっちゃんは?」
「ずっと暇だから描いてるよ。この間、見せたのがあるじゃん」
「うん」
「でも… ただ描いてるってだけで、満足できないんだよなー」
「それはそうなんじゃない? 私も描く度に思うよ」

 たぶん、胡桃の思っているような不満とは違うのだろう。律には解っていた。胡桃や他の作家の場合は向上心があるから改善点が見えてしまうのだ。作品を描いても満たされないのはもっといいものが描けるという想いからに違いない。
 律の場合は根本的に足りないのだ。
 必要なパズルピースが足りない状態でパズルを作っているみたいだった。
 絵を描くのは好きだけど、もっと上手になりたいわけじゃない。
 途中で飽きてしまった。だから律の作品はほとんどが未完成だ。もうキャンバスに描くところがなくなってしまったから筆を止めているだけで、これで完成だと区切りをつけたことは一度もなかった。勝手に他人が完成品だと思っているだけだ。

「一緒にがんばればもっとたくさん上手くなれるよ」
 胡桃は無邪気に笑って紅茶を飲み干していた。

 律は胡桃と一緒に勉強ができるのであればそれで充分だ。一週間だけという予定だけど、それは夢の様な時間になるだろう。絵に関しては意見が交わらなくても構わない。始めから向上心などないのだし、才能で言えば胡桃のほうが天才肌なんだから最初から勝負にならないと解っている。

「そうだ、肝心なこと聞くの忘れていた。お前、ちゃんと親の許可は取れたのか?」
 茉那美先生が切り込んできた。
 先生と胡桃を招聘しようと決めてから、ずっとパパには内密にしてきたのだ。だから先生には適当にごまかしていた。
「…大丈夫だよ。きっと」
 律はパパに当て付けるように二人を呼んだ。来てくれればもうこちらのものだ。さすがに追い返したりはしないだろう。ミッシェルのように仕方がないと言って許してくれるはずだ。

「…そうか、おかしいとは思ったが、やっぱり話してないのか」
「??」
 胡桃は驚いたように先生と律の顔を交互に見回した。

「ふふんっ パパの思い通りになんかならないんだから」
 律はすべてがうまくいくと保証するかのように、にーっと笑って見せるのだった。