2016年12月3日土曜日

律の見た予知夢は当たらない(3)

 スカイエルムタワーは地上60階の高層ビルだ。
 最上の60階と59階には真田家の居住スペースがある。そこにはメイドや家庭教師を含めて20名近くが暮らしていた。律は一人っ子だし、パパはママと別居しているから、真田家の人間は二人だけだ。
 同じビルの20階から40階まではパパが働いている真田総研が入っていた。60名程度の正社員を抱える研究機関である。
 スカイエルムには他にもホテルやスポーツジム、ショッピングセンターが入っている。地上部には郵便局や役所などの施設もある。スカイエルムはビル全体が町として機能していた。 
 律は最上階の一室でずっと暮らしてきた。6歳くらいからだろうか。パパとママが別居を始めてから律はパパと共にこのスカイエルムに移住してきたのだった。

 外の景色は一面が白銀に覆われている。
 律はベランダの窓から空を眺めていた。鉛色で見ていても何も楽しくない。それでも律は落ちてくる雪の結晶を見つめていた。

 最も遠くに外出できた場所と言えば、パパと一緒に降りた地下一階までだ。それが6年間での最長記録だった。警備員、監視カメラ、監視ロボットで厳重に律の行動は制限されている。
 外出にはいくつものチェックポイントがあり、IDカード、指紋と声紋で出入りは管理されている。律のカードはパパが持っているし、律の指紋や声紋では受付のゲートが開かないように設定されていた。
 つまり勝手に外出することは不可能。
 パパの許可がない限り律は囚われの身なのだ。

 律は勉強机に向かってノートを開いた。旧式のノートパソコンで、ネットの世界にも制限がかけられている。メールか特定のウェブサイトしかアクセスできないように設定されているのだ。
 メールソフトを起動してチェックする。
 来ていたのは一通のメールだけだ。

『ALRIGHT』

 その一文だけが書かれていた。律はにんまりと口を曲げる。
「ねぇ 有亜っ 茉那美先生が来てくれるって!」
「…はぁ… それは良かったねぇ、りっちゃん」

「お嬢様? 誰それ?」
 コルルが後ろから抱きついてくる。

「あたしの先生。コルルの知らない人だよ」
「ふーん。来るってここに?」
「そ」
「え? …いいのそれ?」

 律はコルルの言葉を無視して机から離れる。コルルを引き摺ったまま部屋の外へ出ようとした。入り口には織愛が立ちはだかる。
「どこいくのかな?」
「玄関ホール」
「お嬢、そんなとこに何の用事?」
 織愛は少し困った風な表情をする。律の勝手な行動は慎むようにパパから言いつけられているのだ。
「新しい家庭教師の先生が来てくれるから、お迎えに行くの」
「えぇ??」

「おっ嬢様? マジガチな話?」
 コルルが足を絡めてのしかかってきた。行かせないという意思表示だろう。それを予測していた律はゆっくりお辞儀する。
 コルルは律の背中に乗って、体重をかけるが軽すぎて律には無意味だ。お辞儀されて、背中が傾いていったのでコルルは前方に刷り落とされる。
「おっとっと… んふんぎゃ…」
 ぼすっと、コルルは床に寝転がる。

 律はコルルを跨いで部屋を出ようとするが、織愛は律の肩に両手を置いた。
「お嬢ってば、待ちなさいよ。お昼からお偉方との会食にパパと同席しなきゃでしょ? 今から美容室行かないと間に合わないよ?」
「キャンセルでいいんじゃない? パパにも断っといて」
「ちょ!」

 律は織愛のガードも笑顔ですり抜けてドアを開ける。3人のメイドはついていかないわけにもいかないので後に続いた。

「お嬢様!」
「お嬢ったら」
「りっちゃーん」

 廊下を走り、ホールに出て、エレベーターを呼び出す。
「だって、知らない大人と一緒にご飯って意味がわかんなくない?」
「パパはお嬢をご披露したいのよ」
「あたしって見世物なの?」
 ドアが開いてエレベーターに4人が乗り込む。
 59階と60階を行き来するためだけの箱だ。すぐに階下に到着した。律はずんずんと歩いて58階へ行くための階段に向かった。つまりは真田家の玄関だ。
 すっとダイニングルームからメイド服の女性が顔を出す。

「どこに?」
「おはよ、ミッシェルさん」
「お嬢様、どこにと聞いているのです」
 メイド服の女性が立ちはだかり、律は足を止めざるを得なかった。
「…えっと、玄関」
 律は目を逸らした。目の前のミッシェル・ヴィナスはメイド長でありコルルの母親でもある。さらに律の母親代わりでもあって、パパから律の生活管理を委任されている人物であった。
 家を空けることの多いパパに代わって家庭内を取り仕切っている大人物である。

「すぐに嘘を吐く。隠し事ですね? 真田様にご報告にあがらなくては」
「あっ えと… あたしのお客さんなの。友だちっていうか、先生…」
「アポイントは確認しておりません。真田様の許可は?」
「後で取るつもり… じゃだめ…?」

 ミッシェルは大きくため息を吐いた。
「外はお嬢様には危険です。よっぽどの事情がない限りお嬢様はここに居なさいな。幾原さん、お嬢様のお客様とやらをゲストルームに呼んできてください」
「ありがとミッシェルさん」
 律はこれでいいだろうと睨んでくるミッシェルににぃっと笑顔を返した。