2016年11月5日土曜日

ラプンツェルの消失(3)

「出てこないのなら今日はもう帰るしかなさそうだね」
 中田茉那美は織愛にそう告げていた。
「すみません! 旦那様の言いつけで外に出てもらうわけにはいきませんので…」
 織愛は押し戻そうとする。
 ゲストルームの扉の前で茉那美と杉田胡桃が出てきたところだった。

 織愛はこの二人が律の誘拐に関与している可能性を考えていた。茉那美は真田幸晴に対立する唯一の人物だ。
「真田さんのご命令なら背いても構わないな」
 茉那美はこともなげに言ってのけた。
 相当に幸晴を嫌っている様子だ。

 茉那美は教育者として律を育てることに熱心であった。学院に通わない律のような子どもを見るためにフリーの家庭教師は需要として伸びていたのだ。
 名の知れる茉那美を雇った幸晴はすぐに教育方針で対立し、一月もしない内に解雇を言い渡していた。情熱もあるし技能も優れているが、幸晴の目には良くないことを吹聴するペテン師と映ったらしい。
 律は茉那美のことを大好きな先生と無邪気に言っていた。だからこそ3年を経て招聘したのだろうが、幸晴に黙って呼んだのはまずかった。
 茉那美のほうとしては律を連れ出すチャンスと見ているのかも知れない。
 確かに外部の目から見れば、ここは異常な家だ。娘を一生 閉じ込めて外に出さないようにする幸晴の方針は異常に見えるだろう。だから誘拐というよりは鳥かごの鳥を自由にしてやろうとする行為に似ている。茉那美はきっと律のことを不憫に思っていて誘拐を企てたのではないか。

「とにかく日を改めましょう。りっちゃんにもよろしく言っておいて下さいます?」
「ちょっとお待ち下さいっ」
 止められはしない。警察のような拘束力は民間にはないからだ。
 杉田胡桃も織愛の横を通り過ぎていく。パステルカラーの大げさな旅行カバンとトランクを引いて廊下を進んだ。

 胡桃は髪が短く、目のぱっちりした大人びた少女だ。
 織愛は初めて逢うが不思議と親近感がある。自然体というかセレブリティな雰囲気があった。
 絵を描く好きで、茉那美を通じて律と友だちになったという。一週間ほど泊まり込むつもりで来たのに、幸晴に反対されるは律も部屋に閉じこもるはで意気消沈している様子だった。
 モコモコのニット帽を深々とかぶって、ダウンジャケットを着込む胡桃は、もうここに留まる意思がないということがよく解る。
 つまらなさそうに口を尖らせて茉那美に付いていった。

 ひょっとしたら律はこの二人と一緒に家を出るつもりだったのかも知れない。茉那美に出逢うまでの律はパパに従順だったはず。たった一ヶ月間であっても外からの刺激は律を突き動かしたのか。だから律は自らの意思で茉那美とコンタクトを取っていたのだろう。

「私たちはしばらくルーセントホテルに泊まりますから」
 茉那美はロビーを抜けて玄関をくぐる。
「…」
 胡桃は胸の高さにモニターを表示させていてゲームでも遊んでいるみたいだ。まだ律と同じように子どもっぽいところもある。
 茉那美の後について胡桃も出ていった。


「お疲れ、コルル…」
 織愛はコルルに電話して、茉那美の尾行をするように指示を出していた。
「今、中田先生と不思議少女ちゃんが46階に降りたわ。エレベータで地下に行くと思う。追ってくれる?」

 あの二人はコルルに任せよう。織愛は律の部屋に戻ることにした。