2016年7月30日土曜日

雨の日の捜索願い

 「もうさがさないで」
 そう記されたメモが見つかったのは今朝のことだった。

 沙智は事態は深刻であると一瞬の内に悟る。

 ノートの切れ端にミミズの這ったような字が記されていた。幼稚園児並みの字面だ。悪ふざけで書いたものではないということは妹の沙智にはよく解る。

「家出…!?」

 姉の絢香が家から居なくなったのだ。
 昨日のケンカが原因だろうと思う。
 絢香の買った高級なハンドクリームを、沙智はいつも使い過ぎる。
 勝手に使った使わないで、これまで何度か言い合いにもなった。

 沙智は絢香の部屋を飛び出して、両親に家出のことを伝えた。
「そんな度胸はないでしょ」と母は笑い、「お腹が空いたらケロッと帰ってくるよ」と父は娘のことよりゴルフの練習のほうが大事なようだ。親は当てにならない。

 一人でも心当たりのある場所を探すことにする。絢香が行きそうな場所はだいたい見当がつく。家以外の居場所は限られているから。学校か、たまきの家か、行きつけの喫茶店くらいだ。

 始めにたまきの家に行ってみる。
 公園を一つ挟んですぐの隣だから絢香も行きやすいだろう。

「来たような来てないよーな」
 たまきは床でごろりと眠りながら答えた。
 酷い寝相だ。
 蒸し暑い部屋でお腹を出したまま。寝汗がびっしり。パジャマのシャツをしまってやって扇風機をかけてやる。

「来たの? なんか言ってた?」
「言ってたような言ってないよーな」

「日曜だし学校じゃないよね…。じゃあ『みらーじゅ』か…」

 独り言のようになる。
 たまきに話しかけてもまともな返事はもう返ってこないだろう。
「ありがと。じゃーね、たまき」

「もっとアイスクリームちょーだいな。次はメロン味で。むにゃ」
「ちゃんとベッドで寝たほうがいいよ?」


 たまきの家を出ると雨がぽつぽつと降り始めた。
 一度 家に帰って、二人分の傘を持ってからまた絢香を捜しに出る。

 『みらーじゅ』は手作りのお菓子が売りで、二人してよく通っている。いつかあの味を再現したいと絢香は研究熱心だった。一人でも入れる店としては数少ない個人経営の喫茶店である。
 少し覗いてみたが絢香の姿はなかった。
 ここでもないとすると、他に彼女が行きそうなところが思い浮かばない。

 傘を差す程でもないが、顔に水滴が落ちて苛立ちが募った。
 一応、学校にも寄ってみるが門は閉まっていて誰も居なさそうだ。他に行き場所なんてあるのだろうか? 絢香の行動範囲は知らない内に増えていたのかも知れない。
 行ったことのない店にでも意を決して入ったのかも。新しい友だちができたのかも。
 姉のことなら何でも知っていると思っていたが少し遠くに感じてしまう。

 商店街を歩いて、神社のほうへも行ってみる。
 図書館や馴染みの本屋も捜してみた。
 アミューズメント施設なんか普段行かないような場所も見て回る。
 どこにも彼女の姿はなかった。

 雨脚が強まる。
 お金を持っていないのに家出したって絢香には行き場所なんてないはずだ。あとは里佳子せんぱいの家ぐらいか…。しかし姉妹揃ってあの先輩は苦手なのだ。わざわざ鬼の棲家に飛び込んだりするだろうか。この可能性が一番低いと思った。

 絢香はどこかで雨宿りしているのだろう。
 屋根のある場所で、長居しても遠慮ないところ。
 沙智は一つ思い付いて、家に向かって歩き出した。

 昨日のケンカは少し言い過ぎた。
 悪いのは自分なのだから謝ろうと沙智は思う。

 雨の降る夏の公園は近寄りたくない。
 虫や雑草が活気づいて嫌だ。カエルの鳴き声も遠くから聞こえてくる。人気はなく寂しい。自然の匂いと蒸し暑さに満ちていた。
 家の隣の公園は子どもの頃、姉とよく遊んだ記憶がある。
 すべり台にチューブ状の遊具がくっついてて、それが絢香のお気に入りだった。

 近づいて中に入ってみる。

「昨日のことゴメン」

「…」

 絢香は本を読み続けて、無言のままだ。

「あたし言い過ぎだったよね。あっちゃんのなんだから勝手に使ったの謝る」
「…」
「ねえ?」
「…」

 絢香は怒ると自閉してしまう。だんまりを決め込むのだ。
 沙智は自分も怒らないようになだめなければならないと自制する。

「あっちゃんが… あんなになるほど思いつめてたなんて思ってなくて」

 メモの字は汚かった。
 いつもは字のきれいな絢香だが、泣きながら書くと園児なみに退行してしまうのだ。

「なにを… いまさら」
 絢香はぱたんと本を閉じて虚空を見つめる。
「ハンドクリームのことだよね? いっぱい使ってごめん… 高かったんだよねアレ?」

「……え…?」
「だからハンドクリーム? …だよね?」

「…あぁ…」
「え、なに? 違うの??」

「違わないけど… 別に… 気をつけてくれれば…」
「違うんじゃん。ホントはなに?」

「アイスクリーム… 食べたでしょ」
「………え」
「冷凍庫の奥に隠してたのに。二人で食べたでしょ」

「あ、そうだったの…??」

 メモの意味が解った気がする。確かに家出する人が「もう」なんて書くのも変だ。「さがさないで」の前にそんなことが書いてある時点で気づくべきだった。

「たまきにも裏を取ってあるわ。しきりにメロン味を持ってこいって」
「あっちゃんの手作りアイスだもんねー。『みらーじゅ』の味、再現しようとしてたんだっけ? あたしオレンジが一番好きかな」
「話を逸らさないで。ちゃんと言ってくれればあげるんだから…」
「たまきのサーチ能力が凄いんだよね」

「えーと帰ろう? お腹空いたし? ほら傘も持ってきたしさ」
「………うん」


 沙智は長期戦になると踏んでいたが絢香は空腹を我慢していたようだ。メモの意味からも家出のつもりはないと見える。ただ怒っていただけのようだ。両親のほうが絢香のことをよく解っている。
 解ってないのは自分のほうだった。

 沙智は嬉しくなって、遊具から出てくる絢香に傘を差し出した。
 姉のふてくされた顔を見て、ケンカしていたことがバカらしく思えた。