2016年7月23日土曜日

断絶の檻 〜好奇心は私を殺す〜

「福助ってなんだよっ」

 たまきが口を尖らせていた。
 頬が膨らんで風船みたいだ…。

 珍しい… と思った。
 機嫌の悪いたまきを見るのは何年ぶりだろう。あまり気にして見ていたこともないから思い出せないけど、少なくとも春に雪が降るくらいは珍事と言っていい。
 関わり合いにならないほうが身のためだ。

 私は狭くて暗い部室で、いつも通りのテープ起こしのアルバイトに集中していた。イヤホンで里佳子せんぱいと取材相手の声に聞き入る。ノートパソコンに文字をひたすら入力していくだけだ。早く終わらせてスーパーでの買い出しを手伝いに行かなければと考えていた。

「うー」
 たまきはカメラの手入れもしないで、髪をいじりながら床でゴロゴロしているだけだった。そうとう、暇なんだろう。埃が舞って迷惑だ。

「酷いと思わない?」
「…話しかけないで」


 私はたまきとどう接していいか解らない。
 たまきは『嫌い』というよりは『苦手』なのだ。克服するつもりもないけど、部活の仲間としては最低限度の接し方をしなければならないと思う。
 しかし動物園に紛れ込んだかのような錯覚が常にあった。言葉が理解できなかったり、考えていることが異次元に不明瞭だったりすると檻には近寄りたくないと思ってしまうのだ。
 こんなことではいけないと解っていても私には術がない。

 里佳子せんぱいが居ないと息が詰まりそうだ。黒板には演劇部に取材と書いてある。今日は夜遅くまで帰ってこない気がする。
 たまきも暇なら里佳子せんぱいの取材に付いていけばいいのに。

「せんぱいったら酷いんだよ?」
 エサをねだるような目で私を見ないで欲しい。

「………何が… とは聞かないけど…」

「あたしのこと何もわかってくんないの」
「音が聞き取れなくなるから、黙って…」

 イヤホンの上からでもよく通る声だ。

「せっかく! がんばったのに!」
「…少し黙って」


「あっちゃんだったらわかるよね? わかるよねー」
「………」
「えーっ あっちゃんもかー」
「ん… いや…」

 わずかに罪悪感が芽生えた。私には彼女を無視することはできないようだ。

「努力しても見てくれてる人が居ないとやる気ゼロになるんだよねー」
「だって… ヒントは…」
「せんぱいもだけど、あっちゃんも自分好き〜っ、なんだね」


 それはショックだ。
 私はいつも自分をないがしろにしてきた。他人のために努力ができると思っていた。
 少なくともたまきよりも繊細なつもりだった。他人のこともよく観察しているつもりだったし、学校内の事情も記事を書き起こしているおかげでよく知っているつもりだ。

 しかし、たまきから否定されるとは心外だ。
「さっちゃんはわかってくれてたのにっ」

 私は立ち上がる。
「あなどらないでね」
 人間観察は得意だと思う。

 しかし最近のたまきに格別な努力をした形跡は思い当たらない。大概は寝ているし、すぐにちょっかいを出してきて、いつも私の邪魔ばかりをしていた。
 探してみる。
 何かあるはずだ。
 たまきにだって人知れずがんばっていることが…。
 動物園の檻の前に立つような、興味深いけど不安で、近づいてみたいけど相容れない想いに駆られた。

「なーに? あっちゃん」
「…」

 私は間違っていた。
 思い上がりと言っていい。
 見ているつもりでも何も見ていない。
 何も解っていなかった。

「ごめん…、偉そうなこと言って…。私も、…ちゃんとたまきのこと見てなかったのかも知れない…」
「ふーん」
「自分が好きなことだけじゃなくて、苦手なものでもちゃんと見て、知って、理解しようとすることが大事なんだと気付かされたの」
「そうなの?」


 どんな地道な努力をしたのだろう。

「たまきのこと、思い返してみたけどわからなかった。何をしたの?」

「髪切ったら失敗した」

「か…」
「前髪、ちょっと自分で切った」


「…み?」
「せんぱいのために可愛くなろうって努力したのに、ぜんぜん気づいてくんないのっ」

「…」
「髪切ったって話したら福助みたいだなって笑われたしっ」

「…もう」
「福助ってだれ?」

「…話しかけないで」

 世の中には知らなくてもいいことは確実にあると思った。
 私は着席してすぐに仕事へ戻ることにした。