2016年7月2日土曜日

消えた少女漫画 〜こんな奴は親友じゃない〜

 ずぶ濡れで、雨にでも降られたような気持ちだ。

 2週間ほど前のことだった。
 少女漫画の3巻目が姉の部屋から消えていたのだ。
 続きを読みたくて、とても辛い。

『勝負!』
 ノートの切れ端には井の字の盤面が描かれていた。横に『勝負!』などと添えてある。

 井の字の右上に『○』のチェックがある。
 沙智は溜息をつく。
 たまきがマルペケを挑んできたのだ。

 泥棒が誰なのかは既に解っている。
 たまき以外に、姉の部屋からものを勝手に持っていくような人はいない。
 沙智も姉の目を盗んで読んでいた本だが、たまきのほうが先に3巻に手を付けたのだ。もう何度目の抗議だろうか。3巻がないと先に進めないままだ。

『返してくんない?』
 沙智は井の字の真ん中に『×』を書き込む。
 ノートの切れ端に返信の言葉を書き添えて。

 静かな教室に先生の声だけが響いている。
 たまきは机に突っ伏してノートに落描きをしている。
 沙智は先生が黒板のほうを向いて数式を書いている隙を狙って、彼女の机の上にノートの切れ端を置いた。
 たまきはすぐさまそれに飛びつく。

 『勝負』は決着がつかないだろう。
 こんなものは論理的に“引き分け”か“負け”しかないのだからマジメにやるのがバカバカしい。
 沙智は勝負のことはどうでも良かった。勝っても何もないし、負けても良いと思っている。
 そんなことより2巻の続きが読みたくて仕方ないのだ。

『なんのこと? 写させてもらったさっちゃんの宿題プリントなら忘れてきたよ?』
 汚い字だ。
 盤面の右下に『○』が書き込まれている。

『2週間前のこと! 思い出せ! あと、わたしのを忘れたなら、たまきのプリントちょうだい。名前のとこだけ変えて提出させてもらうから!』
 沙智の宿題プリントを忘れたらしい。それで自分のだけは持ってくるなんて酷いなと思う。一緒に居るとこんなことばかりだ。
 こういうことは言っても直らないし放っておいたら酷くなる一方だ。
 正直、宿題プリントのことはたまきに預けっぱなしで沙智も忘れていた。自分も注意が足りなかったと反省をした。宿題を提出するときに一緒に持ってきてもらえると思ったのがそもそもの間違いなのだ。
 たまきの憎たらしい横顔を睨みつける。

 他にも思い出せないほど同様の事例はたくさんある。
 ジュースを買うコインを借りて返さなかったり、色鉛筆を姉の部屋から持っていったり。
 腐れ縁とはいえ、つきあい方を考えたほうがいいかも知れない。
 こんな友人はうんざりだ。

 盤面の左上に『×』を書き込んでやった。あえてである。次で勝負は決まるだろう。

『帰ったら探してみるね』
 そして盤面の左下に『○』が書き込まれていた。

 沙智は怒りを覚えた。
 探すということは既にどこに行ったか解らないということだ。失くしたものが帰ってこない可能性は高い。
 どうしてコイツはいつもこうなんだろう。

『あと自分のも忘れた!』
 探してみるねの続きにそんなことが書いてあった。
 どうやら宿題は二人して仲良く忘れてきたということになるようだ。せっかくマジメに問題を解いたのに。沙智はコピーでもを渡せば良かったと後悔する。

 それと、勝負についてはもうどうでも良かった。
 譲ってやったのに勝ちを拾いにこないのは、らしくないじゃないか。
 上の段の真ん中に『×』を書いてノートの切れ端を返却した。

『ぜったいに今日中に探して持ってきて!』と書き添えて。

『わかった。宿題ごめんね!』

 そして盤面の欄外に『○』が書き込まれていた。
 もはや勝負でも何でもない。

『続きが気になって眠れないから』
『わかった!』



 たまきがドアをノックせずに沙智の部屋に入ってくる。
「持ってきたよ」
「…あ」

 ちゃんと3巻が戻ってきた。
 沙智は寝転がっていた姿勢から起き上がってそれを受け取る。

 読みたかった本が奇跡的に戻ってきて感動してしまった。

 どこか心の奥で戻ってこないと決めつけていた。
 沙智はたまきを疑って、本当に大せつなものを失ってしまうところだったと反省する。

 読み終わったらこっそりと姉の部屋に返そう。
「よかった。もう戻ってこないと思ってたか… ら… ん?」

 沙智はゴワゴワになった本を広げてみる。
 まるで雨に降られたかのようだ。
 ページをめくるとぱりぱりと音を立てて破れる。

「いやびっくりしたよー。借りてたことすっかり忘れててさ」
「…雨にでも降られたのかな?」
「ううん。たぶん脱ぎっぱなしの服の中に入り込んでたんだと思うよ」
「…それで洗濯されたと?」
「おもしろかったよ。あ、3巻の内容のほうね」


 沙智はサインペンを手に取る。

「他に言い残すことある?」
「…領収書にサインを? とか?」


 沙智はたまきを捕まえて顔に『×』と書き込んでやった。