2016年6月4日土曜日

空白の一分間 〜里伽子の考察〜

 目を閉じていた一分の間に何かがあったのだろう。
 起きていたと自覚していたはずだが、一瞬だけ寝てしまったようだ。

 何か物音がした。
 彼女は慌てた様子で飛び起きた。一分前と光景が変わっている。

 腕時計を確認する。
 現在16時52分。

 里伽子は薄ら笑う。
 インスタントコーヒーを淹れて席に戻り、原稿の続きを書こうと思っていた矢先だ。

 消えているものが二つある。

 財布が忽然と消えるなんてあり得るのか。確かに机の上に無造作に置いてあっただけだ。部室に鍵はかかっていない。持ち去ることは可能だ。

 響 里伽子は想像してみる。
 盗人が入ったのだ。

 しかし、すぐに思い直す。
 浅い眠りのはずだ。繊細な彼女が物音に気づかないわけはない。

 窓が開けてあって、そよ風が気持ちいい。風を通すためにドアも少し開けてある。猫が通れる程度の隙間だ。いくらのんびり屋の彼女でも誰かが来たら気づくだろう。
 盗まれたのでないならどうして目の前から消えているのか。盲点がどこかにある。灯台下暗しという言葉が浮かんでくる。
 彼女は一点を見つめてぼんやり考えていた。

 もう一つ、途中まで書いてあった原稿が消えていることに気づく。
 顔面蒼白になる。

 こちらはデジタルデータで、持ち去ると言うよりデリートされたのだろう。そして消した後に「お」の文字が100個以上並んで上書きされている。

 いくら盗人でも財布を盗るついでに原稿まで消していくわけはない。彼女の頭の中には性善説しかないのだ。泥棒がそんなことをするメリットも思いつかない。「お」の文字をたくさん入力する意味も解らない。

 少し慌てているな。
 落ち着いたらいい。

 里伽子は観察する。
 素敵なミステリーなのだから、ゆっくり考えたらいい。


「寝ぼけて自分で消してしまったに違いなかろう。また書けばいい」
 声に出してみる。しかし彼女の唇は震えていた。なんの慰めにもならない。

 解っている。
 うたた寝している間に全選択して「O」を押し続けたのだ。器用にセーブまでして。

 文字は自分で消したとして、では財布はどこに消えた?
 部員の顔ぶれを思い出してみる。


 たまきは取材で部室に居ない。
 沙智は相変わらず幽霊部員だ。

 残る部員は…。


 彼女はハッと気づいて、ゆっくりと顔を上げた。
 そんなはずはないという表情だ。

「眠気覚ましにコーヒーでも飲むか?」
 里伽子は立ったままコーヒーを啜っている。腕を組んで、微笑ましそうにずっと彼女を観察していた。

「せ… せんぱいが…?」
 彼女、荻原絢香は混乱しているようだった。

「君の足元に落ちてるぞ」
 里伽子は寝起きの彼女を観賞し終えて、自分の席に戻った。

「え? 何で床に置くんですか…」
 彼女、荻原絢香はまだ寝ぼけていた。