2016年5月14日土曜日

どちらが制裁を受けてもおかしくない

「あー!!」

 たまきが絶叫をあげる。

 絢香の静かな怒りが炸裂したのだ。
 何が姉の逆鱗に触れたのか。

「あっちゃん、これは…」
 沙智は唇を震わせて後ろを振り返る。
「抹茶…」
 絢香が無表情に戸を閉めて去っていくところだった。
 まったくの無感情。

 恐怖する沙智。何が起こったのか整理がつかない。

 姉には確信があったようだ。
 確実にたまきを仕留める方法とは何か。
 どのようなトリックでたまきを狙い撃ちにしたのか。
 一歩、間違えば妹を犠牲にしてしまうというのに。
 たまきだけを毒殺する仕掛けが何かあるはずだ。

 そうでなければ、どちらか制裁を受けてもおかしくない状況なのだ。

 部屋には、たまきの絶叫だけがこだましていた。

  今日が祝日で何も予定がないがないことは前々から解っていた。しかし沙智は何も予定を立てていない。パパはママに連れて行かれて買い物みたいだし、姉は朝 からキッチンを占領して何か作っている。沙智は一日中、家でゴロゴロとしていようと思った。そう言えば姉に手伝って欲しいと言われていたことを思い出した が、今さら遅いか。
 穏やかな陽気で窓を開けていれば気持ちのいい風が入ってくる。
 沙智はアイスミルクティーならホットミルクティーよりカロリーは控えめなのではないかとぼんやり考えていた。心地よい眠気に襲われる。

「塗り絵しようっ 色鉛筆貸してー」
 たまきはノックもせずに沙智の部屋に入ってくる。
 まるで自分の部屋かのように入ってくる。

「色鉛筆? あっちゃんが持ってるよ」
 沙智はダイエットについて特集された雑誌の記事を読み込んでいてたまきのほうを見もしない。真剣な眼差しでチョコレート菓子を片手に読む。それをアイスミルクティーで胃の中に流し込んだ。

「あっちゃーんっっ」
 たまきの声が遠く離れていった。たまきが家の中を走り回るのは今に始まったことではない。何を言っても無駄だから注意もしない。窓を閉めていても入ってくるものは止められないのだ。

 いつも通りの喧騒だ。
「あ、味見しよっ」
「それ、だめ…」
「いほえんひふ かひてー」
「……………どうぞ…」
 お菓子作りが趣味で絢香は日頃から研究に余念がない。それを知っているたまきは勘が働くのか姉がキッチンに居る時間帯を狙ってよく家を訪ねてくる。たまきは味見させてくれることを期待してやってくるのだろう。
 完璧さを求める姉は自分が認めるものじゃないと味見を許さない。
 絢香にとって天敵なのだ。
 天敵であるたまきは、絢香の困っている顔が見たいのかも知れない。
 それが惨劇に発展するとは夢にも思わずに。

 ちらりとたまきが置いていった塗り絵の下絵を見る。子ども用かと思っていたが大人向けに売られているやつだ。昔からやることが変わらないなと思う。姉へのちょっかいも子どもっぽい遊びも変わらない。今日の光景も幾度となく繰り返されてきたパターンだ。

「借りてきたー」
 たまきは100色近くある色鉛筆を手に戻ってきた。
「勝手に持ってきて、怒られるよ」
「ちゃんと貸してって言ったよ」
「言ってた? あたしが聞こえなかっただけかな…」
 ともあれ祝日の午後はゆっくりと穏やかに過ぎていく。

 15時を過ぎて紗智は小腹が空いたとぼんやり感じた。手元のお菓子の袋は空だった。
 ふと、絢香のお菓子振る舞いタイムに期待する。

「お腹すいたね~。お菓子そろそろかなー」
 たまきの嗅覚は鋭い。
「あっちゃん何つくってた?」
「シュークリームうまかった」
「摘み食いなんてして、お菓子づくりもけっこう大変なんだから邪魔しちゃだめだよ?」

 程なくすると絢香がシュークリームを持ってきてくれた。沙智は姉がつくったお菓子を食べるのが好きだ。
「ありがとー…ぉ?」

「抹茶風味」
 絢香は無表情にそう告げて戸を閉めた。
 皿に盛られた2つのシュークリームが毒々しい緑色をしていた。手にとって匂いを嗅いでみるが確かに抹茶の香りだ。
 嫌いではないので一口 頬張ってみる。
 甘さ控えめで美味しい。渋みと甘さが同居している。
 満足のいく味なのだが、それでは絢香の意味ありげな無表情は何だったのだろう。

 たまきは緑に染まったシュークリームを、迷いなく手を伸ばし、淀みなく口に放り込んでいた。
 絢香を信頼しきって、一つまるごと口の中に詰め込む。

 そして絶叫に至る。

 それはわさび入りだったようだ。

 たまきは狙われたのだ。味見と称して摘み食いするたまきへの制裁なのだ。しかしどうやって、たまきに2択の中からわさび入りを取らせたのだろう。
 沙智がわさび入りを手に取る可能性だってあったはずだ。たまきにわさび入りを選ばせる方法を思いつかない。

 どうやって…。
 そこまで考えて沙智は気づいた。

「あっちゃん…?」

 すっと狙いすましたように絢香が部屋に入ってくる。コップに汲んだ水をたまきの前に置いて、無言のまま出ていこうとした。
 たまきはその水をがぶ飲みしている。

「あっちゃん、これは…」
「抹茶…」

「あーっ!!!」
 たまきの叫びをよそに、姉は静かに去っていく。

 そう言えば、絢香を手伝わなかった自分も怒りの対象に入っていたらしい。
 どちらかが制裁を受けてもおかしくないのだなと思い直した。

本当にどちらでもよかったのだ。