2016年5月7日土曜日

姉の処方箋、最適解に近い妹

「あんころ餅、食べたい…」
 姉が不機嫌そうだ。
「帰ったらあるよ。めっちゃ甘いやつ」
 沙智はなるべく穏やかに返す。

 沙智は波風を立てない最適解を知っている。
 姉に油を注いではいけない。怒りだすと手がつけられないから。絢香が不機嫌なのはいつも通りといえばいつも通りだ。だから沙智は扱い方を間違えてはいけない。ヘタな返答はこちらの被害が大きくなる可能性がある。でも最適解を知っていれば問題ない。

 帰りが一緒になることは滅多にないが、タイミングが重なって姉と帰る途中だった。部活も何もやっていない絢香だが、最近は生徒会やら通信部やら、いろいろ手伝わされているらしい。とても忙しそうにしている。その点、沙智は気楽だ。部活も習い事もない。友だちとお喋りをしているだけで充分だと思う。

「ホットチョコレート… 作り方は板チョコを… あとは電子レンジ…」
「何をぶつぶつ言ってるの?」
「糖分が不足しているから、補給しなきゃ…」
 絢香は何かを思い出しているかのように宙を見つめている。神妙な面持ちだ。
 沙智としては「そうだよねー」と肯定しておく。反論は無意味と知っているから。
「キンキンに冷えたキャラメル・ラテを一気に飲み干すの」
「へえー… あんまりその表現、聞かないけどね」

 沙智は、テストの点が悪かったと昨日 絢香が話していたのを思い出す。
 飼ってからだいぶ経つのに、猫が懐かないことも関係しているだろう。
 幾度となく繰り返されるたまきの妨害も、無関係ではないかも知れない。
 とにかく、それらすべてが惑星直列のように重なって姉の不機嫌を生み出しているのだ。
「試験期間中だからほどほどにしといたほうがいいよ」
「このままじゃダメ… 死ぬかも…」
「え? そんなに悪かったっけ?」
 聞いた点数は沙智より遥かに良かった気がするよなと思い返していると、絢香はいつの間にか立ち止まっていた。

「どうしたの あっちゃん?」
「死んだほうがマシよ」
「え?」
 沙智は掛ける言葉を失う。そこまで思い悩んでいたとは知らなかった。いつもなら絢香より点数の低い自分は何なんだと聞くところだが、沙智は振り向いて戸惑った。

 絢香が、一筋の涙を見せていたから。

「あっちゃん…」
  沙智は姉の真剣な眼差しに向き合う。少し、誂いすぎたかもと反省した。困っていることがあるなら真剣に話そうと思う。たまきが邪魔ならたまきの部屋のドアを釘で打ち付けたっていい。餌で猫を釣る作戦を教えてあげようと思った。

 絢香は頬に手を添えていた。流れる涙を拭いているのか。
 沙智はどうやって話しかけようかと気を揉んでいると、絢香は突然 早足に歩き出す。

「え、どうしたの? 何?」
「家に早く帰って取ってこなきゃ」
「えー? 何を? 何の話?」
 沙智は姉を追いかける。

「保健証!」
「えー? 急に何で? 風邪?」
「歯医者!」

「はぁ?」
 沙智は立ち止まって姉を追うのをやめた。
「診療時間過ぎてるよ?」
「もう、限界だからっ」
「ちょっと待ってよ。救急探すから。保健証なんて後で持ってくし! 先 行かないで」
 最適解など存在しないと、沙智は悟った。