2016年4月9日土曜日

怪盗ロマンスは恋をしない ⅳ

 有栖川が笑っていたのは解っていた。
 美術室の真ん中に突っ立って里伽子は思考する。
 この美術室には何かある。金縛りにでもあったかのように里伽子は窓の外を凝視していた。
 静けさの中で有栖川の言動を反芻する。

 何を笑っていたのだろうか。
 短い問答の中、彼女は声を出して笑ったわけではない。心の中で笑っている様子だった。それは決して表に出さない。絵の盗難について聞かれてもボロを出さないようにと警戒をしていた。しかし三つ目の設問のときには余裕さえ見られた。
 この事件の被害者であるところの有栖川には困っている様子はない。彼女は何かを隠している。
 絵は盗まれたけど別にいいかと気持ちの切り替えができる娘なのか。自分の描いた絵なのに、そんなに思い入れないものか? それとも絵の盗難自体が狂言なのではないか。

「…」
 有栖川は今、里伽子の目の前でなんとも言えない表情をしていた。
 何をしゃべるわけでもなく、突然 美術室に訪れた里伽子を警戒しているのだろう。前回 会ったときのように多様な情報を読み取れる表情は消されていた。お互いに何も喋らず時間だけが過ぎた。

 静寂の中でジッとしていると、里伽子にはそれだけで事件の全貌が見渡せた。
 間違いなくこの有栖川は事件に積極的に関わっている。だが何も確証はない。この美術室のどこかに手がかりがあるはずだ。視線を泳がせて探る。
 窓の外は雨模様で暗い。
 防犯カメラをかい潜って絵を持ち出すことは可能だろうか? どうしたって校舎に出入りするだけで写るのだから大きなサイズの絵を持って歩けばすぐに解る。
 早朝の時間帯で生徒たちは登校前。ほとんどの生徒が容疑から外れる。教員たちの中に怪盗ロマンスの犯行を手助けする人物が居たのだろうか? あるいは怪盗ロマンスは教員たちの中か。
 有栖川の描いていた絵は始めから美術室になかったと考えるのが自然だ。
 絵は燃やして捨てられたか、丸めて捨てられたのかも知れない。
 しかし里伽子の興味はそんなところにはない。

 やはり動機が重要だ。
 なぜこんなことをしたのかが彼女の口から語られるかどうか。事件報道としてはむしろそっちのほうが重要なのだ。
 有栖川は何故、嘘をつく必要がある? 何故こんなことをする必要があった?
 文化祭に間に合わないと判断してヤケになったのか? 完成したけど出来が気に入らないから破いて捨てたとか?
 
 里伽子は涼しい顔で思考を続けた。
 いずれにしても取材を続けていればやがて事件は明るみになるだろう。そんなに難しい事件ではなさそうだ。
 だけど、今日の空のようにクリアではない。どこかモヤがかかって有栖川を覆っている。

 里伽子は歩き出した。
 つかつかと突き進んで角にある机を目指した。
「あ」
「ぇえ」
「ちょっと」
「!?」

 美術部員たちが何か言っている。

 落しもの箱にケータイ電話をみつけた。
 そうだ、荻原絢香のことを考えよう。

「ちょ、モデルが勝手に動いてもらったら困りますぅ」
「時間いっぱいだ。きっちり約束の一時間だよ」

 里伽子は美術部の部長の頭を撫でた。そして颯爽と美術室を後にする。
「ジッとしているのもいい経験になった。性には合わないけどね」
 アラームが鳴って一時間が経過したことを告げる。それで美術部員たちは納得したようだ。

 有栖川は里伽子が出て行ったのを見て胸を撫で下ろす。
 しかし追い詰められたマウスのように暗い表情をのぞかせていた。