2016年2月6日土曜日

彼女だけが別世界に消えた

「はぁ…」
 紗智は白くて小さいため息を吐いた。
 憂鬱とはこういうことを言うのだろうか。10分後には到着してしまう。自然と歩くスピードが遅くなる。

 もう何度目だろうか。携帯電話に着信があった。
「さっちゃんもうすぐ着くー?」
「さぶい… もうすぐ…」
「わかったー。待ってるねー」

 プッ
「…おい」
 紗智が何かを言う前に通話が終了していた。

 昨日も突然 電話がかかってきて遊びに行こうとたまきに誘われたのだ。遠出は久しぶりだ。何を食べに行きたいとか服が欲しいとか少し話をして、簡単に待ち合わせの時間と場所を決めて電話を切った。

 そして、また電話だ。一分おきくらいにかかってくる。
「鳥だっ 鳥だよっ 鳩かな?」
「そこ神社だよね?」
「うん」
「わかった」

 神社の敷地内には鳩がたくさんいるから解りやすい。

 たまきが紗智より先に待ち合わせ場所に到着していることが信じられなかった。遅刻の常習犯にして自由気ままな彼女に待ち合わせというフェアトレードが成立するとは思えない。
 だが今日は珍しく先に到着しているらしい。いったい、たまきに何があったのか。約束の時間よりも早く着いているなんて不可解でならない。そしてなぜか理不尽という思いが尽きない。
 紗智は身を丸めてコートの前を合わせる。

 日曜日の商店街は人だかりが多くて歩きづらい。紗智はなるべく路地裏を選んで歩く。出店や看板が並んでいて、いろんな食べ物の匂いが漂う。可愛い洋服や目を引くタレントのポスターなんかにも目移りしてしまう。誘惑が多い。

 奥に神社が見えてきた。手を振るたまきの姿がもうすぐ見えてもいい頃だ。
 また携帯電話に着信が入った。
「まだかなー?」
「…もうちょっとで着くよ。近くまでもう来てる」
「わかったー」

 プッ
「な…」
 携帯電話を睨みつけながら紗智は言葉を飲み込んだ。たまきが最後まで話しを聞かないのはいつものことだ。

 賑やかなところに遊びに来るなど、どれくらいぶりだろうか。ボロボロになったスニーカーを新しく買い換えたい。服も買いたいがそれほど小遣いは残っていないだろう。

 妙な気分だ。
 いつもは待ちぼうけしているのは紗智のほうだ。だから待ち合わせ場所に到着して、たまきを捜すなんて何だか不思議な世界に迷い込んだかのようだった。

 たまきの姿がどこにもない。

 鳩が漂う神社の敷地内には たまきの姿は見えない。
 着信が入る。
「まだ来ないのかなー?」
「着いたよ。どこにいるのあんた?」
「それはこっちのセリフだっ」
「こっちのセリフでもあるよ」

 待ち合わせ場所は神社のある商店街の入り口だ。時間も合ってる。少し奥にはコンビニや唐揚げ屋、占い屋、服屋が並んでいるだけ。鳩が見えると言っていたのだから神社の敷地内で間違いないと思われるが。
「鳩がいっぱいいるよ…」
「うん見えてるよ。さっちゃんまだ来ないな」
「いや着いてるんだけど、神社のどこに…」

 紗智が振り向くとたまきと目が合った。
 紗智は電話を切る。

 ゆっくりと唐揚げ屋の前まで歩く。

「何、一人で食ってんだよ」
「え、鳥だけど」

「…それ、鳩じゃないよ」
「えっ… …さすがに知ってるよ?」

「神社って言ったじゃん」
「神社は見えてるよ、ここから。唐揚げも美味しいし」

 たまきはそう言って唐揚げを頬張るのだった。こいつとは言葉が咬み合うことは一生ないだろうと思うのだ。