2016年2月20日土曜日

私は先輩のことを何も理解していなかった

 響先輩は口を聞いてくれなかった。

 どうしてそんなに怒っているのだろうか。
 …いや理由は解っている。すべて私が悪いのだ。


 放課後、憂鬱な気持ちを抱えながら私は部室の前に立っていた。
 意を決してノックをする。ドアを開けると、響先輩が窓の外を向いて佇んでいるのが見えた。部室内は薄暗くて、小さな電気ストーブが一つあるだけで寒々しい。ノートパソコンは開かれたまま、コーヒーのカップからは湯気は立っていない。

「先輩…」

 毛布がパイプイスにかけてある。また徹夜でもしたのだろうか。
 響先輩は仕事熱心だ。その姿は私の憧れでもある。一銭にもならないニュースを追いかけて、いつも人の為に駆け回る。私なんかの作文も褒めてくれて小さなコラムを書くように薦めてくれた。

「あの… すいませんひ…た」

 それなのに私は何も思いつかなかったのだ。
 泣きそうだ。
 もう断るしかない。
 昨日もそのことを響先輩に報告しにきた。そのときは優しくアドバイスをもらったり何を書けばいいかを教えてもらったり、良くしてもらっていた。
 だけど私にはどうしても書けないのだ。私に文才なんてない。たまたま賞を取ったっていうだけ。
 『コンクールでやったことと同じことをすればいい。心の内側にあるものを吐き出せばいいだけだ』そうして響先輩は私のことを、ショートケーキでも食べる前のときのように穏やかで優しい目をして見つめるのだ。
 響先輩の頼みだからという特別なことでもないが、私は頼まれれば断り切れない。結局、励まされてもう一度 原稿用紙を机の上に置いて鉛筆を手にとってみるけど、やはり筆は進まない。

「あの… やっぱり… その… 書けませんでした…」
 私は消え入りそうな声を搾り出す。響先輩は呆れているのだろう。腕組みしたまま運動場のほうを見て響いてくる部活動の掛け声に耳を傾けている。
 私は手汗を握りしめる。

「あのっっ…」
 声が上ずって、普通の音量が出せなかった。どうやって弁解しようか。そればかり頭に浮かんで答えは見つからない。落胆する先輩の表情は見たくないのに。見限られたくないけど、どうしようもない。先輩は優しいけど、厳しいところもあるから使えない私のことは切り捨てるという判断をするだろう。
 響先輩に呆れられるのが怖かった。

「この度は… お日柄もよく…、その… 時間もいっぱいあって、でも… 宿題があって… もう一日あれば何か書けるかも知れないし、書けないような… こともあるかも… でも…」


「萩原絢香、いいものを書こうとするから書けないんだろう」

「…ぇ」


 響先輩はよく通る声で私の心を射抜いていた。
「見てくれなんてどうでもいいのさ。思いのままを書け。それでいい」
「…あ… はい」

「…ふむ。少し居眠りしていたようだな。君が来ていることにも気づかなかった」

 響先輩は首を回して肩を揉んでいた。そして窓際から離れてパイプイスに座る。

「あの… 珈琲をレンジで温めてきます、私」
「あぁ、ありがとう」
「私、その… がんばりまふ」
「あぁ、君は天才だ。書けるに決まってる。私の目に狂いはない。締め切りは明日だぞ」
「ぇ… あはいっ」


 響先輩は仕事に取り掛かり、私はコーヒーカップを手にとって部室を出る。先輩は怒ってなどいなかった。ショートスリーパーでいつでもどこでも寝られると知った。そういう意味でも私の憧れだ。