2015年10月17日土曜日

クランキーチョコレートの消失

 私のせいだ。

 彼女たちの仲が悪くなっている。

 冷蔵庫の中からクランキーチョコレートが失くなっていたことが問題になっているのだと思う。その冷やした硬い食感の美味しいクランキーチョコレートは、私と紗智の間では常に戦争の火種になるほどの代物なのだ。
 紗智は冷蔵庫を開けて、鬼の形相に変わっていく。私を疑うように一瞬だけ睨まれたけれど、矛先はすぐに たまきへと向かった。
 そしてクランキーチョコレートの消失は彼女たちに暗い影を落とすことになった。


 ことの発端は私が一番 始めに帰ってきて、冷蔵庫からクランキーチョコレートを一包だけ持っていった というところからだろう。
 私は紗智が帰ってくる前に、キッチンと自分の部屋を何往復もした。一包だけと思っていたけれど、もう一包だけ、もう一包だけと手を伸ばしていった。

 次に紗智が帰宅して、冷蔵庫からミルクを手にした。そのときはクランキーチョコレートの消失に気づいていないみたいだった。私はほっと胸を撫で下ろす。

 そして、いつものように たまきが遊びに来て、二人は先ほどまで紗智の部屋で仲良く遊んでいた。

 紗智がお手洗いに立ったときに事件が明確化する。部屋に戻る前に紗智は冷蔵庫を開けたのだ。キッチンで夕食の下ごしらえをしていた私は、紗智の目を見れなくなる。
 そして現在に至る。


 紗智は無人の部屋に佇むたまきを見て、なぜか せせら笑っている。リビングのソファの影に隠れて気配を押し殺す。私はキッチンから紗智の後ろ姿を見て空寒くなった。

「を…? お…?」
 たまきのやつが珍しく動揺していた。
 突然 落とされた電灯。愕然と宙を見つめ、両手を突き出して、真っ暗な部屋でおろおろとさまよった。

 いい気味だとも思うけど、ちょっと可哀想な気もする。


 クランキーチョコレートの消失は、ほんの軽い気持ちだった。
 つい、手が出てしまったのだ。お母さんがおやつを買ってくるとき、私たち姉妹のために必ず同じものを二袋 購入する。ケンカにならないようにという配慮なのだが、私はつい、魔が差してとんでもない領土侵犯を犯してしまったのだ。自分の口元が汚れていないかを手鏡でチェックする。紗智に何か聞かれても すっとぼけていようと思う。
 隠し通す自信ならある。

 私の部屋のゴミ箱には包み紙がいくつも散らばっていて、ふと それに気づいた私はさり気なく自分の部屋に戻り、証拠の隠滅を図ることにする。静かに、迅速に行動した。ふすまを閉めて、ゴミ箱から包み紙だけを拾い上げて、押し入れに移動させたのだ。

 紗智は横目で私の後ろ姿を追っていたはずだ。
 既に私も疑われているのだろう。

 しかし たまき犯人説を紗智はまだ捨て切っていないと思われた。現状では たまきのほうが犯人として有力だからだ。
 先ほども冷蔵庫からショートケーキを勝手に持ちだしていくのを目撃したばかりだ。私の目の前で堂々と。
 たまきにはそんな前科が山ほどある。無断で家に入ってきてお菓子を食べるなんて幼少の頃から常態化している。

 紗智は私を追ってこなかった。たまきを暗闇に閉じ込めて懲らしめるつもりなのだろう。

 争いに発展する前に何とかしなければと思った。
 紗智の手には確か、新聞紙を丸めたような武器か何かを持っていたと思う。短めだったけど、あれで叩くのかな? 痛そう。
 紗智に加担するためでもなく、たまきを助けるためでもない。
 争いを止めなければ。

 私が黙っている限り確実に血は流される。仲の良い二人が争うことになる。だけど今さらクランキーチョコレートを食べ…、いや消失したなんて言えたものではない。

 だけど親友同士が いがみ合っていていいと思えない。


 パンッ

 紗智の部屋のほうから銃声が聞こえた。
 銃声?
 いずれにしても紗智が突入したのだろう。
 私は「ハッ」として、紗智を止めなければと立ち上がる。

 ふすまから顔を出して、隣の紗智の部屋の様子を伺う。

 っにー

 トラ猫が佇んでいた。
 一匹だけ引き取った、新しい家族のトラ猫。

 私はふとトラ猫がクランキーチョコレートを食べてしまったことにすればいいのではと思い至る。それならノーサイドだ。

 トントン

 私はトラ猫を拾い上げて、紗智の部屋にノックしてから入る。


「え…? なに? お姉ちゃん?」
 紗智は新聞紙を丸めたもの…? というより、クラッカーのようなものを銃口を突きつけるようにして たまきに向けていた。

 たまきは満面の笑みをたたえている。

 私は涙が出そうになる。
「ん… チョコ… 食べた」
 私はトラ猫を抱きしめる。

「ふしゅっ!」
 アレルギーなど気にしていられない。

「え? 何が?」
 紗智は呆気にとられている。
 手にはクラッカーと電灯のリモコンがあった。

「ありがとー!!」
 たまきが諸手を挙げて叫んでいた。

 なんだろう? 何かがおかしい。


「お姉ちゃん、猫にチョコは絶対ダメだからね! 死んじゃうよ?」
「…うん?」

「それより、ねえ聞いてよ! たまきのバカが誕生日ケーキをさ、サプライズで用意してたのに勝手に食いやがってさ」
「…へぇ?」

「トイレ行ってる間に冷蔵庫から勝手に持ってってさ!」
「ありがとー!」
 たまきが目を輝かしていた。

「ありがとじゃないよ! 一瞬だけは祝ってやるけど もう知らんっ」
「ケーキおいしかったー」
「今後あんたの誕生日はロウソクしかあげないからねっ」

 っにー

 私は何か重大な過ちを犯していたのかも知れない。

「あ、お姉ちゃん。あとでチョコレートの件、詰めるから」
「ん…」
「ショートケーキのことで気づかなかったけど、あとで、じっくり、ね?」
「ふしゅっ!」
 私の腕からトラ猫が逃げていくのだった。