2015年9月26日土曜日

ロジックに反する美学 〜彼女は僕に勝るとも劣らない〜

 どうしても言えない言葉がある。

 ロジックに反するからだ。
 しかし、いかなる破綻があっても、今日こそは言ってやる決意だ。

 目線の先の黒板。
 消さずに残っている日直の名前。唯一 僕と彼女が並んでいられる場所だ。
 消してしまうのが惜しい。

 深いオレンジ色の閑散とした教室。
 近頃は陽が落ちるのも早くなった。 冷たくて長い廊下の向こうに誰かが走っていく音がする。

 普段の僕は冴えない仲間とつるんでいることが多かった。
 似たような性格の、人畜無害な男友達とゲームセンターで遊んでいるばかりだ。 女子と喋るなんてとんでもない。

 彼女は特別だ。

 彼女は僕に勝るとも劣らない。

 つまり僕に勝てる要素は一つもない。
 勉強も運動も壊滅的だ。
 コミュニケーション能力の低い僕なんかは、口でも一方的に押し切られるだけだ。
 日誌を書く仕事も僕が進んでやる羽目になる。言葉巧みに彼女は仕事を回避した。押し付けられたんじゃなくて、僕が進んでやりたいと言ったんだ。
 彼女は自分の立ち居振る舞いが周りの人間にどのように映るかよく理解している。
 僕が断れないことぐらい百も承知だし、僕が彼女のことをどう思っているかなんてこともきっと察知されていて それを利用されているのだ。
 イタズラな瞳が僕を支配する。

 それで充分だと思っていた。
 
 冴えない仲間たちは言葉少なに教室を後にした。
 僕を残して。
 日直の名前のところを凝視する。それを消せば日直の仕事は終わりだ。
 言えたら消そうと思う。

 彼女の机に残された空の弁当箱が入った袋が気になっていた。
 きっと彼女はそれを取りに戻ってくるだろう。
 
 野球部の野太い掛け声が遠いグラウンドから響いてくる。
 考え事をするだけの時間が、無為に過ぎていく。

 伝えたい言葉を頭の中で反芻する。

 彼女は部活を終えて帰る頃。
 タイミングやきっかけ、態度と抑揚。
 臆することはない。


「不確定要素が多くて、1日で全部 回るなんて時間的に見ても僕的にも非現実的で、なんらかのトラブルを想定して、無駄に動かず、金閣寺だけを重点的に攻める(見学する)べきだ」
 僕は、狭く深く掘り下げたい。

「え? 普通に全部 回りますけど」
 彼女は広く浅い視野を持っていた。
 初めて交わした会話は僕にカルチャーショックを与えてくれた。
 修学旅行の班で一緒になったことは二度とない幸福かも知れない。

 僕は理詰めで抵抗するけど、感情論はそれを軽く凌駕する。
 単に僕の屁理屈が空回りしているとも考えられる。

「苦手な人に良い顔をすることなんて、別に難しいことじゃないですよ」

「処世術なんて できない人の方が多いんだ。統計では…」
「考えすぎだと思いますよ」

 相手が反則技を使っても審判にバレなければ大抵の試合は続行するもの。
 無様な負け方の味を一度覚えたら、勝ち方も解らなくなる。

 いつの間にこんな話になったのだろうか。
 「も、もうこんな時間か」
「私だけ家 遠いから、みんなには悪いけど先 帰りますね」

 余ったスナック菓子とジュースは、話し合いが終わる頃、すべて無くなっていた。
 すべて決め終えてから、ゆっくり食べようなんて考えない方が良い。
 僕のくだらない数ある美学はこうして培われていく。

 しかし彼女と交わした会話は僕の理性に変革をもたらしたわけだ。


 あれから季節が一巡りしただろうか。

 一年以上も想っていることになる。
 特に親しくなったわけでもない。

 僕は彼女に負けないだけのロジックを身につけたつもりだ。

 教室の扉が静かに開く。
 彼女の顔が覗く。

 言い負けないロジック―返し技を数々の小説や映画で学んできた。
 近づく足音。
「言いたいことがあるんだ」
 ついに来たんだ。
 僕は逆上せている。
 彼女の髪の香りが羨望と予感を与えてくれる。

「あ、はい」
 いつもと違う雰囲気に、彼女は既に見抜いていることだろう。

 教室はもう何色だか区別がつかない。
 色彩をなくしていた。
 僕は言ってやる。

「い、一緒に帰ろうっ」
 めでたく言えたわけだが。
 声が上ずっていた。

 論理が成り立っていなくても言葉には力がある。理詰めで攻めるなんて僕が間違っていた。破綻していても彼女を出し抜くには、そうするしかない。

 戦慄の息づかい。
 永遠とも思える沈黙。
 
「…うん、いいですよ」
 彼女は目線を一瞬だけ逸らしたけど、かすかに笑ってくれた。
 
 初めて彼女の上を行けたのではないか。

「でも、帰る方向 違うんじゃないですか?」

「構いません…」
 結局、僕に策がないのだ。
 それなら破綻したロジックも有効になる。

 彼女は微笑んで頷いた。

 つまるところ逆立ちしたって僕は彼女に勝てない。
 やっぱり それで充分だ。