2015年7月27日月曜日

一粒の涙

 こんなにも哀しいことはない。 

 私の人生においてこんなにも涙を喚起するような出来事はそう起こりえない。
 そもそも私は感情の起伏のない冷めた人間だと評されることが多い。何事に対しても無関心に見えるらしい。しかしそんな私にだって許せないことの一つや二つ…
 確かに日々、友達や先輩たちを見ていると何がそんなに可笑しいのか、何がそんなに怒りの対象になるのか、些細なことに一喜一憂しているように思う。喜怒哀楽を体現している人たちと私とでは、それこそ壁のような隔たりがあると思えてならない。この場合、私の方が少数派。変なのは実は私の方かも知れない。
 
「あっちゃん、ぼ~っとしてないで手伝って」 
 
「ごめんよ、あっちゃん」 
 
 自然と涙が溢れる。
 私は冷めてはいない。哀しいことがあればやはりこうやって涙だって見せてしまうこともある。他の人たちはその感情の変化のスイッチがたくさんあるのだろう。それが私の場合、極端に少ないだけなんだろう。うらやましいとは思わない。むしろ大変だなとは思う。感動はいつもとっておきのものなのだ。
 
 私の目の前にあるものは結局のところ出来損ない。
 いくらパパに謝ってもらってもこの現実は引き戻せない。それはパパにとってすれば些細なことかもしれない。今はしおらしくしているが、後にそんなことぐらいでというお決まりの常套文句を言い出すだろう。
 
「あっちゃん悪かったって。また買ってくれば済む話じゃないか。今から買ってこよう。それでいいだろ」 
 
 ほら。 
 
 やはりそういう流れになるのだな。理解はされなくて当然だ。どこに行ったって同じ商品はいくらでも売っているのだから。
 しかし芸術作品の前では同じ材料を揃えても同じ作品ができるわけではない。材料は一つ一つ異なった性格を持っていて、どれを組み込むかが作品の出来不出来を左右することになるんだ。完成しつつあった作品の一部が挿げ変わってしまえば、その作品はまったく別の性格を持つことになる。今から生まれてくる作品にとっても不幸だし、作り手なら尚のこと。同じ容姿を復元できてもまったく同じものにはならないのだ。 
 
「あっちゃん、同情はするけど、どうしたってやっちゃったものはしょうがないんだから、パパもこうやって謝ってるんだし。許してあげたら」 
 
「うぅ、でも… あのコはもう… 帰って、こない…」 
 意外に言葉にならない。私は至って冷静なつもりだが、声は上擦っていた。
 
「じゃパパちょっと買ってくるから」 
 パパは慌てて身支度をして出て行った。 

「私もう…寝る」 
 
「あ、ふて寝」 
 
「…おや…すみ…さっちゃん」 
 
「えーこれどうすんの?」 
 
 私はもう答える気力が失せてしまった。キッチンを出ると廊下でママとすれ違う。 
「あれ、もうクッキングは終わり?」 
 
「ママ、あっちゃんね。喪失感でいっぱいらしいよ。そっとしといてあげて」 
 
 所詮、他の人には私の感情の上り下がりが不思議に思えるのだろう。ママにしてもさっちゃんにしても、パパと同じでこの哀しみは誰とも共有できない。
 芸術作品の作り手はいつも孤独なものなのだ。この一粒は大きい。次に同じ感動に出会えることはもうないかも知れない。
 それほどの一粒。それゆえの涙。 

「パパは?」 
「スーパーに苺買いにいった」 

「え、何で?」 
「パパが苺つまみ食いしたの。あっちゃんが探してきた、いっちゃん大きな苺だったのに。ショートケーキ台無し」 
 
「ふーん。まだ苺残ってるのに?」 
「そ。選び抜かれた一粒だったの」